自転車部品やタイヤチューブなどを官庁へ納品する業者として、小峰新助が東京都台東区に小峰商会を創業。
ガソリン価格の自由化により日本国内のモータリゼーションが活性化。この変革を受け、小峰商会は本田技研工業が製造・販売する「F型自転車補助エンジンキット」の販売総代理店となる。
本田技研工業との代理店契約を解消。小峰バイク工業株式会社と改組し、当時の排気量別で最高性能を生み出していた独自開発エンジン搭載の車両「巨人(ジャイアント)号」の販売を開始。このエンジンは当時50社近くあったといわれる国内のバイクメーカーにも数多く供給された。
幾多のバイクメーカーが廃業や統合されるなかで、社名を小峰自動車工業株式会社へと改称。バイクづくりからバイク用品づくりへと事業内容を変更。
社名を株式会社コミネオートセンターと改め、バイク用品の製造に加え、販売店の運営も開始。さらに、海外で人気のバイクブランドの日本代理店となる。
日本の高速道路でヘルメット着用が努力義務となる(罰則なし)。
埼玉県にヘルメット専用工場を新設。そこで生まれたコミネ製ヘルメットが、日本のメーカーで初めて米国のスネル財団規格「スネル68」に合格。このヘルメットは輸出され、米国・英国・豪州などで高い評価を獲得する。
レーシングスーツやグローブ、ライディングジャケット制作のための皮革専門工場を東京都に新設。万が一の時にライダーを守ることのできる摩擦に対して強いウエアやグローブの製造を開始。
第1次オイルショック(1973年)の影響を受けて燃費の良い二輪車への関心が高まる。一方、CBやZといった名車が登場し、日本は「第1次バイクブーム」を迎える。
日本のすべての道路で51㏄以上のバイクのヘルメット着用が義務化される。
日本ではレーサーレプリカモデルの登場や、コミューターとしての十分な性能を身に着けた原付スクーターを軸とした第2次バイクブームを迎える。その中で「コミネオートセンター」は店舗数の拡大を推進。直営店・チェーン店・協力店・姉妹店も加えると全国で27店舗にまで成長させた。
コミネの独自商品や販売店舗の紹介を目的としたカタログ誌『KOMINE-Q』を創刊。
ヘルメットで世界で初めてケブラーとカーボンの複合材を採用したコミネのフルフェイスヘルメット「KF-RX」が、米国スネル財団規格「スネル85」に合格。
夏用のライディングジャケットとして通気性と安全性を両立させた「サマーメッシュブルゾン(現在のメッシュジャケット)」を発表。夏の走りを快適にするとともに、肩・肘・脊椎のプロテクターを標準装備することで注目を集めた。
欧州CE規格認証プロテクターを装着したジャケットをラインナップ
コミネオートセンターの最後の店舗となる東松山店を閉店。
会社名を株式会社コミネに変更。
警視庁から胸部プロテクター推進隊に任命される。
「メイドインジャパン」復活に向けたJJ-001などのプレミアムジャケットを発表。
「3Dメッシュライニングシステム」が特許第6456099号を取得
CE認証グローブ(CE規格EN13594:2015)を日本メーカーで初ラインナップ
本社を東京都荒川区町屋に移動
日本をはじめ世界13カ国の各現地販社と提携し、正規販売店として各国でコミネ製品を販売。
CE認証により海外販売も本格的に取り組み始めた2005年から、ジャケットの販売累計は67万着。グローブは113万双を販売